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毎日、毎日、ヒステリックに息子を怒鳴りつけてた。中1の終わりから突然、息子が学校に行かなくなった。私は言いたい事を全部、息子にぶちまけたが、息子は私に何も言ってくれなかった。当時、テレビではヤンキー先生が流行ってた。もう、息子に何を言っても無理。そういうとこに預けようか。と、ふと思ったりもしたが、悩んだあげく、「もう、学校、行かなくていいから、お母さんの遊びにつきあえ。お母さんが、一生、めんどうみちゃる。たった二人の家族なんだから。」諦めたわけではなかったが、私は開き直って、まず、ずっと憧れてたダイビングのライセンスを取りに息子を連れて2泊3日で西伊豆へ。思いのほか、楽しそうな息子。インストラクターとよく喋るし、地元のお祭りのお神輿の上に笑顔で乗っかってた。それから、一緒に劇団四季とか見に行ったり、おいしいもの食べに行ったり。ずっと家にいても暇だから「なんか習い事でも行く?」と言うとサックス教室へ。当時はソープで稼いでたから、即、アルトサックスを買った。フリースクールにも通った。担任の先生や、友達、相談員の先生もマメにうちに来てくれたが、修学旅行も行かず、卒業になった。でも、中3になって「おれ、高校、行くから、もう、お母さんの遊びには付き合わないよ。」と言われた。え。そんなに嫌だったん?卒業式には出ると言ってくれた。友達は、みんな嬉しそうに声をかけてくれた。私は人目もはばからず嗚咽して泣いた。いや、こらえきれなかった。いったいなんだったんだ。いまだに聞けない。当時、「いつか教えてくれる?」と聞いたら「いつかね。」と答えた。声を押し殺して、こぼれた涙が頬をつたった。その頬は、小さい頃と何も変わらない幼いまま。ああ、やっぱり何かあったんだ。私は息子の気持ちを何も考えてなかったと一緒に泣いた。理由は畑から見たら些細な事かもしれないが、悩みに大きいも小さいもない。息子の心が傷ついたのは確かだ。今となっては、理由を聞こうとも思わない。私があほすぎた。高校は都立だったが、少人数制で良い学校だった。だんだん、以前の明るくて人気者の息子に戻って行った。私はふざけて、よくキャラ弁を作った。友達も遊びにくるようになった。それから息子は私の熱い希望で大学に進学。うちでは相変わらず、オンラインゲームばっかりやっていたが、無事、就職した。きちんと家にお金を入れてくれたし、私が実家の大分の実家に帰る時は、「おばあちゃんに、何か買ってあげて。」と10万渡してくれた。ひえ~~~~!いい男、ここにいた!w当時は、ニートになった息子しか想像出来なかった、アホな私。でも、息子はちゃんと成長して、一歩、一歩、自分の道を進んでいた。2年前にしっかり者でかわいい、お嫁ちゃんと結婚し、もうすぐパパになる。お嫁ちゃんとはじめて会った時、息子に「やったな。」と言った。今も変わらず、私を気遣ってくれて、たまにLINEしてくれたりする。子供がどんどん成長しているのに、私だけ立ち止まったままいられない!子育ては一人じゃ出来ない。そして、子供は社会のもの。ちゃんと社会にお返し出来た。